大学時代に住んでいたアパートは、道に出ると向かいにコンビニがありました。
時間にすると玄関出てから30秒以内。
とても便利だと思って住み始めたけど、そのうちコンビニに行くのも億劫になってきました。
近いからとか、いつでも行けるし、とか言って食料品などのストックを少な目にしてたけど、近くても回数が多くなると面倒です。
アパート敷地内にある自販機にすら、誰がジュースを買いに行くかを友人とじゃん拳で決めてたり。
住み始めると、本当は近いのに遠く感じる、便利なのに有り難さを感じなくなる、それが慣れというものでしょうか。
逆に社会人になってからは、近くにコンビニやスーパーのない場所に住んでいたけど、不便さを感じることは少なかったかも。
近くに無いのが分かってるので、極力、仕事帰りなど出掛けているときに、まとめ買いをしたりして、不便さを補完していたと思います。
利便性の高い場所に住むと慣れてダラけるけど、不便な場所に住むと、住みやすくするための知恵が自然と付いてくる。
過去の経験から、そんな気がします。
ゼロキューブ+BOXを建てたエリアは、市街地から外れた山の麓。
バス停までは徒歩1分だけど、私鉄駅までバスで15分。そこから電車で40分。ドアツードアなら1時間超え。
そりゃ私鉄駅の徒歩圏内の方が通勤は少しは楽だし、お店も多いかもしれない。
でも当然地価は高いよね。
予算が潤沢な人は好きな方を選べば良いけど、予算が限られているなら迷うまでないと思うのだけど、どうでしょう。
通勤時間を15分ガマンするだけで土地の値段はウンと下がります。
下がった差額で、少し広くしたり、オプションつけたり、家具に奮発したり。
便利だ、楽だ、を得るために大きな出費を我慢するのか、それとも便利だ、楽だ、を我慢して出費を抑えるのか。
もし、土地の場所と予算の狭間で悩んでいる人がいたら、少し冷静になって、譲れないと思っている条件が、本当に譲れない条件なのか、視野を広げて考え直してみては。
今号の「SUUMO」の特集記事「自然派の暮らし×都会派の暮らし」を読んで、そんなことを思いました。
というか、特集記事の中に出てくる自然派(郊外)は結局、田舎の人間からすると十分都会なのよね。
都会派が「恵比寿」なら、自然派は「吉祥寺」のイメージ。
ちなみに妻の実家は最寄りのコンビニまで14km…。本物の自然派をナメんなよ(笑)