長女が生まれたのは埼玉県でマンションを購入して2年が経った頃。
もともと共働きで、2人の収入を当てにして購入したマンションだったのと、半ば子供は諦めかけていたのもあって、第一子を授かって嬉しい半面、埼玉でのマンション暮らしを継続することに「?」マークが点灯しました。
最終的には地元にUターンしたのだけど、子供が生まれたことで現状の生活を維持できなくなった理由の一つが、保育園問題でした。
妻の勤務先は、産休がもらえる会社ではなかったため、出産を機に離職。
一度、離職すると保育園に入りにくくなるのは周知の事実。乳児なので幼稚園の選択肢は3年ほどは無く。
出産後、保育園(市役所)に掛け合えば働き口が決まってからじゃないと、と言われ、求人に応募すると、保育園が決まってからじゃないと…と言われ、鶏と卵の議論に陥ったのでした。
どぅ、せぃっちゅうねん(`へ´*)ノ
一応、近隣の評判の良い幼稚園に一旦は申し込みましたが、その後、Uターンが確定したので入園をキャンセル。翌年度は生活基盤を整えるべく、1年間だけ妻と子供だけ妻の実家に居候させてもらい、単身赴任で地元・福岡の地へ。
その翌年度、家族が福岡に合流。長女は3歳だったため、幼稚園への入園を進めていたところ、ふと思いました。保育園って入れないのかな?
妻は福岡に来たばかり。当然、まだ働き口は見つかってません。
しかし、よく考えたら、働く場所あるじゃないですか。しかもすぐに雇ってくれて、好きな時間、好きな日に働ける、急用ができたら休んでも良い場所。
そう、実家の農業です。
すぐに実家にかけあい、雇用契約を交わし、即日、妻は実家の農業を手伝うことに。就業証明書が発行できたことで、長女・次女ともに、無事、保育園に入園することができました。
なお、当時、Uターン直後は個人事業主をしていたので、保育料は娘2人合わせて月額1万円以下でした。
埼玉時代、共働きの同僚に保育料を聞いたことがあったけど、なんと月額8万円超。奥さんがどれくらい稼いでいるかわからんけど、これ正規雇用の共働きする意味があるんかな?と疑問に思うような保育料でした。
そう考えると、娘2人が生まれてUターンしたのは大正解だったのかもしれません。埼玉に住み続けていたら、いずれ金銭的にも精神的にも破綻していたであろうことが、分かります。
ウチはたまたま帰る場所があっただけだけど、身内の大切さを実感。実家の協力に改めて感謝してます。